東京国際映画祭 「スリー・モンキーズ」, 「世界の現状」

「スリー・モンキーズ」  ヌリ・ビルゲ・ジェイラン

Three Monkeys (Turkey=France =Italy) Nuri Bilge Ceylan  109min

某局番組の仕上げが続く中、体調が悪く、口外炎ができてしまった。編集によるストレスと言うよりも、周りが絶賛しているスコリモフスキーとグリンの新作を両方見逃してしまったことによるのかもしれない。今日は唯一の休日。なんとか本数を稼ぐべく、「世界の現状」「スリー・モンキーズ」を見る。「下女」(キム・ギヨン)は売り切れ。午前0時にPCの前に座ってもチケットを入手できないとはどういうことか?(入場すると空席がまだあるというから、納得できない)

「スリー・モンキーズ」(トルコ、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)は、いい線いってるがどこかで踏み外している。ソクーロフかというドギツイショットがあるにもかかわらず(またはあるからこそ)、惜しいと思わせるのはなぜだろうか。交通事故で人を轢いてしまった政治家が、罪のない自らの運転手を身代わりとして服役させるという闇取引をする。運転手がムショに入っている間、政治家が運転手の妻と不倫関係となり、息子、そして出獄した運転手がそれに気づくが、誰もはっきりと言い出せず、苦いわだかまりを抱えたまま家族の人生が続くというお話であるが、こうやって要約できてしまうこと自体に作品としての限界が露呈している。つまり、こちらに要約を拒否するかのようなギヨン的魔力(=狂気)などはなく、真面目にシャープな画面を作っているのだ。

といっても、フォーカスがぼけた中、遠くから死んだ幼児の弟が現れる演出(あの水!)や、その弟の小さな手がぬっと出所したばかりの運転手の顔にまとわりつく時間の恐怖、ドア口に突然人が現れ、無言の視線を送っている瞬間の呼吸などは素晴らしく、スキップブリーチ(スピルバーグが「プライベート・ライアン」以降使っていることで有名な、ストラーロが開発したアメリカ版「銀のこし」)の黄色く暗いトーンよりも何よりも、どの時間を切り取るかというセンスが突出している。しかし、このタイプの映画の限界は、前述のように家族の抱える煮え切らない負の感情という要約から、映画が画面から溢れだし、暴走する瞬間を作家が待ち望んでいないことである。そこがどこか、狙いすぎで堅苦しい感触を与えるのだろう。

「世界の現状」 (アピチャポン・ウィーラセタクン、アイシャ・アブラハム、ヴィセント・フェラス、ワン・ビン、ペドロ・コスタ、シャンタル・アッケルマン)
The State of the World (Pedro Costa/Chantal Akerman/Wang Bing/Ayisha Abraham/Vicente Ferraz/Apichatpong Weerasethakul, Portugal, 2007) 101min

これがポルトガル映画であることにまず驚いたのだが、蓮實さんがトークショーで謂われたように、ポルトガル政府系の助成金を得たプロジェクトで誰もきいたことのない弱小プロダクション(Lx Films) に制作委託され、コスタ、ワン・ビン、アッケルマン、ウィーラセタクンという4名を選ぶという正しい選択をしたものの、なぜかそれとは全く比肩しない「第3諸国」の監督を政治的判断で入れてしまったという「惜しい企画」。コスタの作品以外は未見だったのだが、アピチャポンの独特としかいいようがない視点の優雅さはいいなぁと思えるのだが、ワン・ビンのバイオレンス描写には疑問だったし、アッケルマンの上海ウォーターフロント定点観測は手抜きであることは否めない。

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