The Southerner  南部の人  

ジャン・ルノワール   Jean Renoir 1945、92min

このごろキム・ギヨンの魔力にすっかり犯されていたので、自宅でとにかく前向きな映画を!と思い、ペラペラとDVDファイルを探り、何度も見たはずの”The Southerner” を再見。昔からこの作品はなぜか好きなのだ。26才のオルドリッチが助監督で参加していることとか、ロメールが手放しで絶賛していることを知る以前から、作品を包む開放的な空気が何か偉大に思えた。スタジオ外のロケ撮影で俳優たちを戸外の光の中にころっととけ込ませてしまうルノワールの奔放な人間力が大いに発揮されているのだ。後の「河」へと連なってゆく志向が触知できる。また、水辺の躍動感は、フラハティの「ルイジアナ物語」を思い出した。
いつも文句ばかり言い放つ老婆はまるでアニメのようだが(宮崎駿の作品に毎度のように出てくる文句いいのババア像にそっくりで、もしかしたら宮崎駿はハリウッド西部劇の老婆の系譜を記憶しているのかもしれない)、そんなわかりやすい人物像はむしろ例外的で、主人公の男サム(Zhacary Scott)やその妻(Betti Filed=すばらしい!)、そして二人が井戸の水を借りにゆく近所の農夫や使用人の男の、暗さを背負った「周縁の地の人間像」は、南部の綿畑の明るいショット群の中でひときわ重い影を落としている。近所の農夫とサムとの対立がいよいよ爆発し、殴り合い・決裂した後、農夫はサムを銃殺しようとするが、彼が長年つかまえようと夢見ていたレッド・ペンシル(大ナマズ)をサムがちょうどそのとき引き上げてしまい、農夫は我を忘れて、魚の捕獲を協力するーーこの瞬間はああ映画だ!としかいいようがない。また、大雨・大洪水で畑は全滅、家畜も流されたサムがびしょ濡れのまま、工場長をしている友人のデブに「もうこんな暮らしはたくさんだ。町の工場で働いたほうがマシだ!」と息巻く場面のリアリズムは、その前の晩のフレンチ・カンカン的な晩餐の開放感との対照でルノワール演出の懐の深さを示し、やはりすごい、すごいと感心するしかない。

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