「空気読み」というフィクション

新年あけましておめでとうございます。

映画劇場公開の余波と疲れでしばらくブログを休んでいましたが、ようやく復帰しました。今年は年男です。

新年一本目はBéla Tarrを劇場で見ようと思っていたら、Discus から「39階段」(”The 39 Steps” A. Hitchcock, 1935)が届きDVDを再見、不意打ちを食らいました。NYのFilm Forum で初見の時全く見逃していた細部、例えば正体不明の殺し屋二人に追われ「命を狙われている!身を隠すためコートを貸してくれ!」とRobert Donatが牛乳屋に頼み込むが全く信じてもらえず、むしろ「人妻を寝取ったから旦那とその兄貴に恨まれている。逃げ出す手を貸してくれ!」というと、すんなり助けてもらえるという、見る者を不意に武装解除させると同時にさりげなく状況を説明してしまう見事な喜劇タッチや、山小屋に逃げ込んだとき、嫉妬深い農夫とその妻、逃亡者のDonatの三者で繰り広げられる思惑のすれ違いの無声映画的演出などーーアメリカ時代に繋がるヒッチコックのコメディ/視覚サスペンスの基調がここで形成されつつあることに感動。さらに遡ってイギリス時代の作品を見直してみようと思う。

話は変わって・・・

写真家・作家の藤原新也氏が、<2010年代 どんな社会に> という今朝3日の朝日新聞の特集で「ネットが世界を縛る」というエッセイを寄せている。日本に蔓延る「空気読み」の潮流は「2001年の同時多発テロ事件以降の一般的傾向」だというのだが、これは暴論というしかない。「アメリカはあの事件をきっかけに絶対悪、絶対善で世界を二分し、その『踏み絵』を世界政治に突きつけた。いまだにその「空気読み」で世界政治が動いている。」そうだが、どこの国が「空気読み」で動いているというのか?中国、インドは先ごろのCOP15にいやいやながらも参加していたのは、先進国から資金援助というカードを引き出せるはずだという思惑があるからだし、アフガニスタンへの増派を打ち出したオバマ政権とは裏腹に、オランダは既に年内の兵の引き上げを決定、他のNATO諸国もホワイトハウスに撤退の頃合いを打診・協議しているという。空気読みという曖昧な自主判断ではなく、すべては直截対話による、切った張ったの外交交渉で動いているのが国際政治であり、それはイラン・北朝鮮に対してすらそうだろう。また、前ブッシュJr.政権でもコミュニケーション不在の世界の二極化がまことしやかに演じられたのは、ごく一時期のマスメディア上での話であり、『悪の枢軸』側か、我々側かという選択肢を拒んだロシア、中国に、ブッシュ政権が詰め寄ることなどあり得なかった。(エネルギー、宇宙開発分野での協力や、長らく米ロ貿易を制限してきたジャクソン・バニック修正条項の撤廃、米が憂慮している中国の軍治近代化、良好な米中貿易環境の下、こっそり保護貿易主義を打ち出したい米の思惑など、他の優先すべき交渉事項が山積みだからだ。)一つ一つの外交カードのせめぎ合いという具体的対話の場としての国際政治を抽象化してしまう「空気読みの傾向」見解は、ハンチントンの「文明の衝突」同様、現実の伴わないフィクションである。

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