成瀬の遺作、とまたしても終世観映画

乱れ雲 (1967)   成瀬巳喜男
成瀬お得意の禁止の力学が炸裂する傑作。
しかも、今回は禁断中の禁断、肉親の殺人者を愛してしまう物語。
心理の些細なもつれ、そして再度の接近を見事に演出しきってしまう成瀬であるからこそ、我々は納得感を持って禁断の愛を受け入れてしまう。その鋭さに心底痺れてしまった。
夫が交通事故で亡くなった後、青森の実家にかえる司葉子が、路線バスに揺られながら、十和田湖へ夫婦で出かけた想い出を思い返すモンタージュは途方もなく美しいし、加山雄三が拒否されながらも、しつこくも何度も「偶然に」司葉子と出くわすご都合主義は、またか!と思いながらも、それを期待させて引っ張って行くところなど、司と加山の引力をうまく転がしていると言える。さらに土砂降りの中、熱が出た加山と司が傘一つでバスを待つシーンの興奮(灰色の背景に浮き出るように立つスタア二人、逢沢譲の撮影は見事)や、まさに「緑のシーン」というしかないシネスコいっぱいに夏の緑が配された構図の中加山がついに司に思いを告げるショットの震撼ぶりなど、極上の瞬間ばかりが詰め込まれたこの傑作は、成瀬の遺作という名に全く恥じない出来と言えよう。
「緑のシーン」の男女の接近、そして別れ(加山の振り返り、司の追跡そして停止)の演出は何度となく見直したい。

The Book of Eli    ザ・ウォーカー

The Hughes Brothers, 2010

世紀末戦争後、生き延びた人類の間で繰り広げられる不毛な生存競争というネタ自体はなんら新しいものでないし、その主人公にDenzel Washington、悪役にGary Oldmanが選ばれるというのも何の不思議でもない。

それでも、水も食料もない中で、人肉を食う野性のネコ(?)を、塵とゴミに塗れながら虎視眈々と狙い、鋭い矢で射貫いてしまう一人の男の登場シーン、彼がこの終世観漂う荒野で一人生きてゆこうと巨体をゆすりながら歩いて行く冒頭は、素晴らしいと言える。

戦争の爪痕が残るハイウェイにうち捨てられた多数の車の間を歩いて行くWashington。生存者はいない。一台の車に人影が見え、そのドアをこじ開けると骸骨が見える、というショットまでは申し分ない。しかし、最初に見える彼以外の生身の人体が、一晩を過ごすために入り込んだ廃墟で飛び出してくる首吊り自殺体である、という点から少しずつ「臭い」だし、次に荒野で一人捨てられている女と彼女をおとりとして周りで息を潜め隠れるチンピラ野郎の登場(それは「北斗の拳」そのものなのだが)のあたりでこれはダメだと思ってしまった。荒野に残された一匹狼の哲学を語るのであれば、安易に短刀での「チャンバラシーン」を見せつけるのではなく、遠くにようやく人影が見えたのに、それから距離を置き、遠くでレイプされようが自分とは関係ないと呟き、ひとり生き延びようとしている男こそ、惹かれてしまうし、その男が極力離れようとしている文明とは今やどうなってしまったのか、というサスペンスも生まれるからである。(実はそのようなシーンは後ほど登場するのだが、サスペンスが消失した後に示されてもなんら面白くない!)せっかくの前半の画面の連鎖が生み出すハードボイルドの美学を貫ききれていない所に作品の弱さがある。

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