映画における刑事の太さについて  “Bellamy”  Claude Chabrol 2009

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刑事コロンボの訃報に触れた日に、他の刑事ものを見ることは映画的な倫理に背くどころか、むしろこのシャブロルの遺作「刑事ベラミー」を通して、やはり映画的刑事の身体は太っているべきではないか、と呟いてみることこそがPeter Falk への哀悼になりはしないか、などと考えながら、「牛のように」苦しげに息して歩くドパルデューの肢体が狭苦しい階段を上ってゆくことがなんともサスペンスフルで、彼が演ずる刑事ベラミーが安モーテルで逃亡生活を送る犯人容疑者にどうしてか肩入れしてゆく裏には、実は見る者誰もが眉をひそめる、彼と切っても切れない異母兄弟の弟に対する積年の悔恨があり、それがやたら殺人者に対して温情的で、ヒューマニスティックであると評価され、自叙伝も売れて有名人になってしまっているという刑事ベラミーが生きる皮肉であるというところに、画面の外に豊かに暗く世界が広がっているというシャブロル的ユーモアがある。

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