エディンバラ映画祭へ:NN上映・相米慎二特集

エディンバラ国際映画祭に拙作”Nuclear Nation”が招待された。
同映画祭は今年からプログラム・ディレクターに批評家Chris Fujiwara が就任し、彼が招待してくれた。
特集上映も彼のディレクションで組織されていて、今年は相米慎二のレトロスペクティブ。
自分も上映後に相米についてChris と対談することになっている。

相米慎二は、水と歌と裸の作家である。
登場人物は、裸になり、歌を歌い、土砂降りの中で踊る。水たまりがあれば、ダイブするか、ずっこける。
これは日本人が酔っ払うとやってしまうことと同じである。
社会からの抑圧と、それからの解放が、映画の主題になっているからに他ならない。

エスカレーションの作家でもある。
最初の設定では想像もしなかったほど、状況が逸脱し、群像劇として人物たちが破綻してゆくのが、物語のアーク(展開軸)となっている。そこに総体として同時代の社会が浮き彫りになる。例えば「台風クラブ」の場合、80年代の開放感が画面に溢れており、ミッドライフ・クライシスのどん詰まりに陥っている教師(三浦友和)と言えども、暴力的とも言える楽観性に満ちていて、その背後に少年達が感じる漠とした不安であり、心許なさがラストに浮上する。もう、バブル崩壊の警鐘がそこにあったと言える。

相米においては、社会の規範とそれからの逸脱・破綻が、何度も違う形で変奏される。
大人と子どもはその両極を示す装置である。
大人=社会が揺れ動き混乱する中で、少年達がそれにどう反応してゆくのか。
エドワード・ヤンに酷似している。
そういえば、あの土砂降りの雨と闇も、ヤンを思い起こさせはしないか。

今日見直した「台風クラブ」は、巨大台風が長野のある田園地帯を直撃し、地元の中学校に取り残された少年少女が物理的にも心理的にも大きく揺さぶられる一夜を描いてゆく物語。基本ほとんど1シーン1ショットにより、事態が極まってゆく時間を深めてゆく演出力は堂に入っており、世界レベルである。今カンヌを騒がせているルーマニアの作家Cristian Mungiu (実は友人でもある)も、1シーン1ショットをそのスタイルにしているが、相米の世界の偶然性をも取り込んでしまうようなキャメラの包容力を学べば、さらに一皮むけるのにと思えてしまう。それほど、相米の持続は熟達しているし、単純におもしろい。

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