こんな充実した出だしの映画は久しぶりである。

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「孤独な天使たち 」       原題”Io e Te”
ベルナルド・ベルトルッチ
2012年  97分

うつむいた少年と、彼の周りの世界との距離がショットの積み重ねにより的確に示され、ゆっくりと映画が開いてゆくさまは、我々の映画的感性をびりびり震えさせるのに充分であり、このナイーブさこそベルトルッチがヌーヴェルヴァーグとともに共鳴し、引き受けてきたものであると頷きつつ、画面に身を委ねることができる冒頭だった。

こんな充実した出だしの映画は久しぶりである。

さすがベルトルッチと呟きながら、この鈍い興奮がどのように展開してゆくのか息を殺して見守っていると、少年L’enfant terrible は母親とおだやかに接し会っていたかと思えば、突然キレて車の助手席を殴打する捉えどころのない怒りを秘めており、彼が自分を苛立たせる全てのものから自らを隔離し、孤立するという暴挙に出たとき、これはトリュフォーを引くまでもなく、ヌーベルヴァーグの血脈が現代に繋がっていることにまたしても頷いてしまう。

この少年の”孤立”はたかだか中学のスキー旅行合宿をさぼり、自宅マンションの地下の倉庫に1週間籠城する、という微笑ましい逃避行なのだが、それがとびきり美しいジャンキーの異母姉が転がり込んできたときから、映画が躍動しはじめる。そう、若者を撮らせたらどんな若手映画作家よりも若々しく撮ってみせる老齢のイタリア人作家の企みは、主人公を親だの学校だの「世界」と対立させることではなく、この密閉空間に、若い男女をとじこめることにあったに違いないと、彼の傑作群を見てきた我々は確信する。

外の空間が示されることなく、密室での男女の時間が延々と続くのは、「ラストタンゴ・イン・パリ」を想起させずにおれない。ベルトルッチはやはり部屋の作家であり、もう一つは裸であり、踊りの作家である、と思っていたら、やはり最後にはイタリア語のデヴィッド・ボウイの歌声と共に、それは官能的なダンスがくる。

マンションの地下室と外の繋がりにより、現代の問題の全て(分裂する核家族、教育、ドラッグ、若者の孤独、社会の無関心などなど)を描いてやるというストイックな野心に痺れた。

ベルトルッチの作家的胆力に乾杯したい。

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