有権者と政治家の耐えがたい遠さ 

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「選挙2」 想田和弘監督 

毎朝、川崎駅前に立ち「○○です。おはようございます」とひたすら繰り返す市議会議員・県議会議員候補。日中、ロータリーで行き交う主婦層などに所属政党のビラを配るが、殆ど受け取って貰えず憔悴する別の若手候補。スピーカーで名前だけを連呼するのが評判悪いと、無言で近隣を周回する選挙カー。

日本の選挙の不条理が、見るものの腑を剔るように突きつけられる。
それは想田監督の「選挙」から変わらぬ姿勢だ。

「選挙」が、選挙運動の儀式化=空洞化を辛辣に批判するものであれば、
「選挙2」は、候補者と有権者の間のどうしようもなく遠い距離を描き、日本の民主主義はどうなってしまったのか、と問いかける。

震災直後の2011年4月、どの候補も明快に脱原発を打ち出さないことに苛立ち立候補を決めた山さんこと山内和彦・前川崎市議。旧態依然の選挙運動と決別しようとするが、どぶ板活動をやらないと、さらに有権者の顔は見えない。市政への提案を掲げた選挙ハガキ何千枚を、夜中の郵便局で、妻と一緒にせっせと書くが、それが果たして有権者の投票に結びつくかは明らかでない。駅前で挨拶するだけの候補も「本当はもっと政策内容を話したいが、公職選挙法で禁じられている。自分の政策提言を書いたビラもまけない」と嘆く。駅へと向かう通勤者は、ひたすら狂ったようなスピードでスイカを改札にタッチしてゆく。震災が起きて、この国は果たして何が変わったのか。この決められた箱の中で従順に同じ方向に進み続ける国民性は、なんら変わっていないのではないか、と絶望してしまう。

顔の見えない有権者は、投票へ行かない。投票率は59%。
そしてその59%の多くは自民党に入れる。
政策論議もできない、政策提言も共有できない、ただ駅前で挨拶するだけの候補者をどうやって有権者は選ぶというのだろう。

「自分に投票しなくてもいい、せめて投票に行ってくれ」
防護服を来た山さんの、誰も見向きもしない街頭演説は、果てしなく遠い有権者に絶望した最後の悲鳴のようにも聞こえた。

この「距離」が常態化してしまった日本は、民主主義を取り戻せるのだろうか。
「選挙2」は僕たちに吃緊の課題を喉もとに突きつける。

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