「あれから」は映画の始原的本質に触れさせてくれる傑作だ。

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「あれから」  篠崎誠   63分  2012

すぐれた映画は、もう少しこの画面を見ていたい、もう少しこの光と音に浸っていたい、という極めて原始的な欲望を刺激する。1ショット、1ショットがあまりにも美しく、その甘美な魅力に浸るか浸らないかのうちにあっけなく過ぎ去ってゆくことがなんとも口惜しく、それに耐えながら次の画面こそ見逃すまい、とスクリーンを凝視しつづける体験といっても良いだろう。篠崎監督の「あれから」は、そんな映画が本質的に秘めている一瞬ごとの儚さ・一介性と、 震災で失われた様々なものへの哀悼を重ねた作品であり、震災への美学的なアプローチとして極めて正当化されうるだけでなく、ごく単純にいって感動的だ。

人間の心理的な空虚をどうやって描くか、という極めて文学的な主題を、そのまま物語として提示するだけでは、この「未曾有の大災害」を表象することは叶わない、そう考えたのだろうか。さっと通り過ぎてしまう美しい空のショット、はっと思い返すように挿入される桜のショットが、我々の脳裏に深く根を下ろしている震災の記憶と響きあう、そんな映像と記憶の原体験的呼応関係がそこに広がっている。

震災をきっかけに大きな空漠を抱える主人公の女性が、ラスト友人の結婚式で目撃する幻影の、ただならぬ緊張感。それまで禁じられていた(=サスペンス)過去の記憶が現在と衝突し、スパークする一瞬の儚さが、もう二度と戻らぬ時間への哀悼に同時的に変化してゆくという奇跡を体験して欲しい。

短い(63分)時間による映画がアリだと思える、そんな傑作と言いたい。

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