幸徳秋水に学ぶ

非戦と原発反対の根底にあるのは同じ。

一部の人間の意思決定により、したっぱにいる普通の市民の命を奪い、人生を狂わせる、そんなことが許されてはならない、という思いだ。

国境という線引きで、利害を対立させ、双方が国益のためという建前で、互いの国の人々を傷つけ合う戦争。

市町村という線引きで、わが町を他の町よりも発展させるためという建前で、後の世代に多大な迷惑(使用済み燃料)と借金、そして万一事故が起こったときその町そのものを消し去る災禍をもたらす、原発。

国境に関係なく、県境に関係なく、基本的な人間存在を傷つけてはならない、そんな暴挙をする権利は何人たりとも持ち得ない。

したっぱにいるおっちゃん、おばちゃん、じいさん、ばあさん、子供たちがどれだけ苦しい目に遭うのか。

戦争を、核を、誰かが誰かに強要することがあってはならない。

この思いは誰もが共有できると思うし、そんな純粋な道義心こそが政治を動かす原動力であるべきだ。

以下の幸徳秋水の権力批判を読んで欲しい。

今の世に通ずる慧眼だと思う。

『思うに幼児が井戸に落ちようとするのをみたら、誰でも走ってこれを救うのに躊躇しないだろうことは、中国の孟子が言ったとおりで、我々も同じである。
もし愛国の心をして、本当にこの幼児を救うのと同質のシムパシー、惻隠の念 慈善の心と同様にならせることができるなら、愛国心は全く美しいもので、純粋で一点の私心もないのである。
私は、いわゆる愛国心が純粋な同情、惻隠の心でないことを悲しむ。
なんとなれば、愛国心が愛するところは自分の国土に限られているからである。
自己の国民に限られているからである。
他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、他人を愛さずしてただ自己の一身を愛する者である。
浮ついた名誉を愛するのである。利益の独占を愛するのである。公正と言えるであろうか。私でない、と言えるであろうか』

幸徳秋水「帝国主義」より

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