YIDFF 2015 強度の映画

20年前の大学時代に、故・佐藤真氏に連れられ訪れて以来、何度も足を運んできた山形の映画祭。今年は3日しか参加できなかったが、映画の現在を肌で感じ取ることのできる強烈な作品に幾つか出会った。

全体の総括をするには見た本数が少なすぎる(7本)ので、印象を記録するだけにとどめるが、画の強度が圧倒的な作品が多かった。「真実を捉えているのだから」というエクスキューズで、手ぶれガクガク、もしくは戦略もなくド正面をとらえただけのインタビューなど、時代遅れの感がある。視線の確かさを突き詰めてゆけば、自然と落ち着いた画面となり、さらに被写体の全存在を深く捉えたいと願えば、キャメラは当然“正しい位置”に据えられ、それが画面の強度へと繋がる。逆に、映像言語への批判的アプローチなしに、無防備にキャメラを被写体に向ける姿勢は、高画質キャメラがスマホにもついている現代においてあまりにも無知であり、画面の強度は、映画作家が自分なりの矜持と視点の独自さを主張し、自己を確立する上で避けられないサバイバル戦略といえるのかもしれぬ。

ロバート・フラハティ賞(グランプリ)の「HORSE MONEY」は、あらゆる言語による分類を拒む、ただただ強度の映画であった。「コロッサル・ユース」のような浮遊する劇空間は、Ventura の住むフォンタイーニャスから離れ、架空の地下プリズンへ遷る。闇に浮き上がる人の影をスタンダードサイズで切り取ってゆくというスタイルは踏襲しつつ、どこなのか、いつなのか、時代も場所も不明のまま、Ventura は自ら「19歳と3ヶ月」と言い放ち、植民地カーポヴェルデで過ごした幼少期へ記憶を遡行させる。ドキュメンタリーというカテゴライズは全く無効の領域で、コスタは孤独に舟を漕いでゆく。むき出しの映画そのもの(それを自分は「零度の画面」と呼んだ。詳しくはここに:http://www.flowerwild.net/2008/01/2008-01-29_191812.php)を突き詰める作家コスタの姿勢は常にレスペクトに値する。

「祖国—イラン零年」は、驚愕の一本。2003年米ブッシュ政権によるサダム・フセイン政権への圧力が高まってゆく中で、バグダッドに住む監督の家族を撮っただけのファミリービデオが流れる。と思いきや、爆撃が始まり、その後の世界の混乱と矛盾がばんばん突きつけられる。市民目線から由縁のない戦争に巻き込まれる不条理を、激烈な痛みとともに突きつける傑作。
同作と同じく優秀賞に輝いた「銀の水 シリア・セルフポートレート」も、一人称から進行する戦争の痛みを捉えた作品。世紀末的な廃墟の続く荒野が、アジアの西端に存在し、なお殺戮が続いていることに溜め息が出るばかり。
W杯で盛り上がる中、ブラジル格差社会の陰影をデイトレーダーたちとともに描いた「6月の取引」は、野心はすごいが映画として何かが足りない。
「Dreamcatcher」は、シカゴで売春する少女達を更正させようとする団体のリーダーを描いた作品。4歳でレイプされただの、8歳からストリートに立っている(立ちんぼということ)だの、現実が強烈すぎて、何度も殴打されるような感覚に襲われる。
山形在住の農民詩人木村迪夫を描いた「無音の叫び声」は、アプローチは凡庸であるものの、農村の原風景の賛美が、戦争批判に繋がるとまで喝破した作品。作家の執念が伝わってきた。
「HORSE MONEY」とともに最も傑出していたのは、「トトと二人の姉」(アレクサンダー・ナナウ監督)。ルーマニアのジャンキーハウスに住む3姉弟を観察的視点で寄り添った作品。劇映画なのかと思えるほど、ショットの構成に手が込んでいる。被写体が自由に動き回るドキュメンタリーの現場(なにせ相手は子どもとジャンキーだ)で速やかに映画の画面を切り取ってゆく慧眼と技術力に感動。さらに時間の省略や編集の妙によって、主人公達の感情の起伏をストーリーテリングとして構築してしまうあたりも、劇映画の見せ方とも言える。無論、ドキュメンタリーとフィクションのハイブリッド・シネマはもう長らく存在している。しかし映画が真に躍動し始めるのは、主人公の姉弟にカメラを持たせ、セルフドキュメントの時間をも映画の肉体として取り込みだした瞬間であり、ショットの精度と魅力にこれがさらに加わり、映画はミックス、シャッフルされてゆく。アプローチも、コンテンツも傑出した一本と言える。

コンペ作品「真珠とボタン」が東京で封切りされた、パトリシオ・グスマンの『チリの闘い』(1975-78)を見逃したのが、唯一悔やまれる。

しかし、作品のカテゴリーがどうであれ、画面の強度が突出する作品ばかりが映画祭で目立つようになったのは、誰でも動画を撮れるようになった時代に映画が生き残ってゆくための一つの方向性と言えるかも知れない。佐藤さんならコスタを見てどういっただろうか。ブレッソンをひたすら礼讃し研究していた彼なら、また新たな角度から斬っていたに違いない、と思いつつ僕は山形を後にした。

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