「海よりもまだ深く」 是枝裕和監督

映画空間の完成度としては今の日本映画において群を抜いている。
被写体との距離感、レンズの選択、照明、映像設計、さらに人物描写の深み、役者の動かし方、小物の使い方など、見ていて画面の充実に舌鼓を打つ自分がいた。

団地3DKの狭い室内空間の演出、テレサ・テンの曲とテーマとの関係、阿部寛と樹木希林、小林聡美の余裕綽々のユーモアもすばらしい。団地の冷蔵庫のにおい、など五感に訴える団地描写、ディテールは脚本の勝利である。

おそらく過去作品「歩いても、歩いても」と比較されるだろうが、テーマの掘り下げ、脚本の完成度、演出のキレは、こちらがより研ぎすまされている。

阿部寛の、社会への穿った見方をもつキャラ、あの歩き方とユーモアがとても面白く、愛すべき主人公を描ききった時点でこの映画の勝利、もっといってしまえば興行的成功は保証されているだろう。

一つの家族だけでなく、団地コミュニティ——橋爪功による、ばあさんたちのクラシック拝聴クラブ−−もいい。団地の現在を描き、高齢化、孤独死といった団地の現代をうっすらと照射する。

映画の完成度としては文句ない。
しかし、相容れないと思ったのが、作家の描く人物の世界観でもあった。主人公・阿部寛は、小説家として一冊出版し、小さな賞を獲得したもののその後が続かず、生活費にも困り、探偵事務所で働いている。ギャンブルにも手を出し、一発逆転を夢見る性格が元妻(真木よう子)に軽蔑されるーーという社会的「負け組」のステレオタイプとして設定する世界観に違和感を覚えた。イーストウッドならこうはしないだろう。もしくは、野田高梧の脚本ならこうはならないだろう。世間一般の「勝ち組」賛美の価値観を映画がなぞるなら、それに対抗する個人の存在を入れこむのが、作家のあり方であると思う。阿部寛が、親権も妻に取られた息子と夜中二人きりになり、将来公務員になりたいと夢のないことをいう男の子に「何かになりたいっていう気持ちが大切なんだ」というが、いかにも説得力がなく響くのが残念。「ダメ男」としてユーモアがあっても、その中に彼の尊厳を見たい、というのが素直な感想だった。

「東京物語」で原節子に贈られた義母の形見の時計の意味だと思うのだが、物語がそのクライマックスの一つであり得た、母からの贈り物(内容は公開前なので伏す)が空転してしまっていた。母(樹木希林)と元嫁(真木よう子)の心の闇の描写が弱いため、である。それが遠因だろう、映画の幕引きが唐突に感じられるのも、人物描写が不完全燃焼だったためによる。そこが残念ではあった。

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