Archive for September, 2017

妖怪たちのオペラ

September 22, 2017

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百鬼オペラ 「羅生門」@シアターコクーン

渋谷で観劇。
芥川龍之介の原作をイスラエル人芸術監督が演出。
絵本のような、妖怪と概念が一緒になって時空をふわっと横断してしまうような、奇妙な作風が面白い。
拙作の主演でもある柄本佑は、全身タイツの妖怪たちと戯れていたかと思えば、羅生門の多襄丸にもなるという大活躍。幅がある役者だなぁと。
先日の香港のMVも圧巻だったけど、やはり満島ひかりのダンスは素晴らしかった。劇空間からミュージカルにスライドする瞬間がゾクゾクする。映画のミュージカル性を身体で表現できる人だ。
照明も舞台美術も魅惑的で、青葉市子さんら音楽隊の雰囲気ともハマっていた。凄まじい完成度。 (9.21.2017)

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THINKER: Sakamoto

September 15, 2017

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Ryuichi Sakamoto: CODA  Stephen Nomura Schible 2017

ついに初号試写で拝見。
async の制作中の時間に絞り込んだドキュメントは、作曲家であり、かつ思想家(thinker)である坂本龍一の精神世界にじっくり没入しようという一点に絞られており、その潔さがとても鋭く、深みある場所に到達している。

YMOやベルトルッチ、イニャリトゥなど映画界のあの人やこの人と思い浮かぶ大物のインタビューなどは一切出てこない。おそらく撮影はしたのだろうが、結局は他の誰かに称賛されるような言葉は必要ないと判断したのだろう。教授本人の人間的魅力と新作に向き合う“音探し”の時間にとことん付き合い、沈み込んでゆくことこそ、その凄みを贅沢に実感できるものではないかという監督Stephen Nomura Schible の割り切りが素晴らしい。

バッハ、タルコフスキーという宇宙の摂理にまで、その作品世界を広げていった作家の英気を吸い込み、自らは世界のchasm (亀裂)やasync (ずれ)に音を滑り込ませてゆこうという坂本龍一の手つきに、わずかながらでも触れられた気がした。

不明瞭な空虚さ——「三度目の殺人」  是枝裕和監督

September 11, 2017

「不明瞭な空虚さ」——「三度目の殺人」  是枝裕和監督

この週末に拝見。
殺人そのものを描かずに、その後の法廷闘争、弁護士と依頼人である殺人犯、その関係者たちの信頼関係、つまりは同じチームとして共闘すべき人間たちが、本当の意味で信頼しあえているのか否かに、テーマの焦点を絞った作品。
福山雅治演じる弁護士が、そのクライアントである殺人犯と、寄り添えているのか、それとも信頼関係などは青臭い、それ自体あり得ないもので、減刑など「どこに落とし込むのか」ということで目的を絞り込み、そのために口裏を合わせて協力するだけの関係なのか、という問いが全編を貫いている。
 十代の広瀬すずに法廷とは「だれも真実を語らない場所」という台詞を語らせていたが、そんな大人たちのニヒルな場所としての法廷闘争を描き出す——という目的は半ば達成しているかに見えるが、どこか作品として消化不良で煮え切らない。
 (以下ネタバレ)なぜか。広瀬すずをレイプし続けた父親から救う為に、役所広司演じる容疑者が殺したのではないかという「線」と、法廷で広瀬すずが父による性的虐待を吐露するとなった途端、容疑を認めていた役所広司が殺人を全面否認、金を脅し取っただけで殺したのは他の誰か(あり得るのは娘の広瀬すず?)という「線」が浮上し、交錯する。その2つの推測をめぐって、裁判官や弁護士がああだこうだとすったもんだするのだが、もう真実はどうでもよろしい、さっさと終えてしまおうという大人の論理で終幕が半ば強引に引かれる。その背景に、「訴訟経済(法廷経済)」という裁判官と弁護士たちのあうんの呼吸による判決の落とし込みがあるのだが、それはそれで「腐りきった日本の司法社会の現実」(括弧つき)を描写しているのかもしれぬが、何が言いたいかというとそれによって翻弄された当事者たちと、彼らの背負う業が見る者に分かるように宙吊りにされていないということだ。増村なら分かりやすくやっただろう。黒澤明なら「天国と地獄」のようにベタにやっただろう。そこまで脂ぎらなくてもよいのだが、広瀬、役所、福山、(そして斉藤由貴の母も?)という当事者たちがどこに行き着いたのか、何を背負って、どんな苦しみをごくりと飲み込んで耐えて生きてゆこうと決意したのか、そこを明確にしていないので、作品としては、弱いと言わざるを得ない。

福山が、殺人容疑者の役所にラストに言う、「あんたはただの『うつわ』なのか」という台詞。それが文字通り空っぽに聴こえてしまうところに、この作品の物足りなさがある。

ダンケルク

September 11, 2017

Dunkirk  by Christopher Nolan

The Dark Knight は傑作だったが、それ以外はまったく良いと思ったことのないChristopher Nolan. Memento など初期からずっと見続けているし、Hans Zimmer による音楽など見所を満載させる山師的才能は傑出しているので、ついつい劇場に見に行ってしまう。例によって”Dunkirk” も封切りで見た。

Inception でも感じたことなのだが、史上最大の作戦を幾つもの視点からこれ以上ないほど大げさに描き、その果てにある意味「だからなに?」は問わずにおくというのが彼のスタイルなのだろう。今回も第二次大戦初期の、連合軍が圧倒的にナチスドイツに押されていた時期の大撤退作戦を、陸、海、空の3つの軸で描いてゆく。複数の人間(今回は兵士)が絶体絶命のピンチに巻き込まれてゆく描写は相変わらずうまいのであるが、この人間を見ていたい、この人間の吐く言葉と肉声を聞いていたい、このじいさん、もしくはこの若者をずっと見続けたい、というような深みのあるキャラが登場することは皆無。20世紀ではなく、むしろ21世紀的な散漫でド派手な戦争ショーに付き合わされる。そして、戦争に対する作家的視点はなく、最後は撤退はしたものの英国は決して負けない、という戦意高揚の音楽と共に終幕する。イーストウッドなら絶対そんなマーチ音楽が、空虚に空々しく響くはずのところをマジで盛り上げようとしている点はげんなりしてしまった。彼は、特殊なサーカスとしての映画に興味があり、それはジェームズ・キャメロンのそれに近いものだろう。やたら心臓の鼓動や、金属が軋み合う重低音はやり過ぎ感があったが、ただ戦闘機が画面を横断する「音」は本当に凄まじかった、とそれだけは賛美しておく。