不明瞭な空虚さ——「三度目の殺人」  是枝裕和監督

「不明瞭な空虚さ」——「三度目の殺人」  是枝裕和監督

この週末に拝見。
殺人そのものを描かずに、その後の法廷闘争、弁護士と依頼人である殺人犯、その関係者たちの信頼関係、つまりは同じチームとして共闘すべき人間たちが、本当の意味で信頼しあえているのか否かに、テーマの焦点を絞った作品。
福山雅治演じる弁護士が、そのクライアントである殺人犯と、寄り添えているのか、それとも信頼関係などは青臭い、それ自体あり得ないもので、減刑など「どこに落とし込むのか」ということで目的を絞り込み、そのために口裏を合わせて協力するだけの関係なのか、という問いが全編を貫いている。
 十代の広瀬すずに法廷とは「だれも真実を語らない場所」という台詞を語らせていたが、そんな大人たちのニヒルな場所としての法廷闘争を描き出す——という目的は半ば達成しているかに見えるが、どこか作品として消化不良で煮え切らない。
 (以下ネタバレ)なぜか。広瀬すずをレイプし続けた父親から救う為に、役所広司演じる容疑者が殺したのではないかという「線」と、法廷で広瀬すずが父による性的虐待を吐露するとなった途端、容疑を認めていた役所広司が殺人を全面否認、金を脅し取っただけで殺したのは他の誰か(あり得るのは娘の広瀬すず?)という「線」が浮上し、交錯する。その2つの推測をめぐって、裁判官や弁護士がああだこうだとすったもんだするのだが、もう真実はどうでもよろしい、さっさと終えてしまおうという大人の論理で終幕が半ば強引に引かれる。その背景に、「訴訟経済(法廷経済)」という裁判官と弁護士たちのあうんの呼吸による判決の落とし込みがあるのだが、それはそれで「腐りきった日本の司法社会の現実」(括弧つき)を描写しているのかもしれぬが、何が言いたいかというとそれによって翻弄された当事者たちと、彼らの背負う業が見る者に分かるように宙吊りにされていないということだ。増村なら分かりやすくやっただろう。黒澤明なら「天国と地獄」のようにベタにやっただろう。そこまで脂ぎらなくてもよいのだが、広瀬、役所、福山、(そして斉藤由貴の母も?)という当事者たちがどこに行き着いたのか、何を背負って、どんな苦しみをごくりと飲み込んで耐えて生きてゆこうと決意したのか、そこを明確にしていないので、作品としては、弱いと言わざるを得ない。

福山が、殺人容疑者の役所にラストに言う、「あんたはただの『うつわ』なのか」という台詞。それが文字通り空っぽに聴こえてしまうところに、この作品の物足りなさがある。

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