「若い女 Femme Jeunne」

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レオノール・セライユ  97分 2017
@Institute Francais カイエ週間

精神が破綻し、壊れてしまった「若い女」が、その内実の全てを暴力的なまでにレンズにさらけ出し、熱量と感情と、そして同時にウィットに満ちた視線を見る者にぶつけてくる映画といえば良いだろうか。

J. キャサヴェテス「壊れゆく女A Woman Under the Influence」のように、包み隠さず、内面の揺れと葛藤をすべてこちらにぶつけて来る女性と向き合う我々は、女性がたとえ一歩も前進しなくても、とことん付き合うしかないと腹を決めるしかない。そんな濃密な覚悟へと見る者を引き込んでしまう磁力を纏っているという特別な作品。

主人公のポーラ演じるレティシア・ドッシュLaetitia Doschが傑出している。
最初は、ぶち切れて何度もドアに顔面を打ち付ける、狂ったブスという印象から、徐々にその荒くれた内面と知性が両立していることを気づかせてくれるという深み!

作家とレティシアが台本と演技に込めたあまりの熱量、彼女の吐く言葉の渦に圧倒されるしかない。傑作!

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”Let the Sunshine In” Claire Denis

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「レット・ザ・サンシャイン・イン Let the Sunshine In」 Claire Denis

デプレシャンにせよ、ドゥニにせよ、みずからのミッドライフ・クライシスを何の躊躇いもなく映画にぶちこんでゆく作品が続いている。本人が実感できるリアルがそこにあるからやっているのだろうが、作家ごとに主人公との距離感が違うのがおもしろい。

Denisのこの作品は、主人公である女性現代画家(Jビノシュ)が作家本人の反映なのだろうが、離婚した後の幾多の恋がことごとくうまく行かず、救いようもなく破綻してゆく。それを客観的とは言わずとも、ある距離を置き対象化しているのがドゥニの映画だった。小津や黒澤をリメイクするほど日本映画に傾倒しているドゥニ(今回も「昭和残侠伝」の健さんのポスターが画廊になぜか張られている。)が、そんな距離感を日本映画から学んだのだろうか。

“Les fantômes d’Ismaël” イスマルの亡霊

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一方、デプレシャンは、自らのミッドライフ・クライシスを、マチュー・アマルリック演じる主人公の映画監督に完全同一化してしまっている。こちらは主人公との距離はゼロ。作家としての客観性とは絵空事の嘘だと言わんばかりに、自分の狂気と苦悶をすべて画面にぶつけまくるというデプレシャンの作家性は、誰もが熱狂した傑作「そして僕は恋をする」から変わらない。

画面がつねに緊張感に満ちみちた傑作というわけではなく、節操はなく支離滅裂でもあるが、それも込み込みでナイーブな内実をすべて熱くさらけ出し、映画への不器用な激情を恥じらうことなく吐露しまくることが、ある誠実さを持って見る者に伝わるとき、作家の愛らしさとして見る者の心を震わせる。それがデプレシャンの作家性ではないか。

Bob Dylan に合わせて、ダンスするMarion Cotillardのように、一回きりのエモーションを誠実に受け止め続ける彼を、やはり好きにならずにはいられない。

“Les fantômes d’Ismaël” イスマルの亡霊 2017
Arnaud Desplechin アルノー・デプレシャン
キャスト:Mathieu Amalric, Charlotte Gainsbourg, Marion Cotillard, Louis Garrel