「インディペンデント映画の脚本ってなんだ?」動画UP

October 8, 2017

9/6に開催された【鍋講座 vol.35 インディペンデント映画の脚本ってなんだ?】の記録動画が公開されました。
 

ゲストの脚本家お三方・髙橋泉さん、向井康介さん、髙橋洋さん(敬称略)のお話は、現場の濃密さと熱量がじかに伝わってくるものでした。

この企画の言い出しっぺである僕は司会をやりましたが、本当にやってよかった。皆さん、日々2時間なり8話なりの映画やテレビをどしどし書いている方なので当然と言えば当然なのですが、話が本当におもしろい。

高橋泉さんの「キャラとキャラをぶつけて、書いている中でシーンが際立ち、キャラがはっきりしてくる」手法、
向井さんの「1シーンの中での序破急」
高橋洋さんの「何を見せ、何を見せないのか。ホラーとはどこかで四谷怪談であるべき。」

など、キレある慧眼でした。また続編も考えたいと思います。

会場は超満員。キャパオーバーで入れなかった方も数十名いたそうで、本当に申し訳ありませんでした。
次回はもうちょっと大きいところでやるとか、諸々反省したいです。

後日レポートが映画鍋のWEBサイトで公開されますので、お楽しみに!

舩橋淳

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“walker”

October 8, 2017

a short film by Atsushi Funahashi
MUSIC: “walker” by Ryuichi Sakamoto

Ryuichi Sakamoto | async
International short film competition

http://www.sitesakamoto.com/

できた!
音楽に映画をつける、という初めての体験。

妖怪たちのオペラ

September 22, 2017

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百鬼オペラ 「羅生門」@シアターコクーン

渋谷で観劇。
芥川龍之介の原作をイスラエル人芸術監督が演出。
絵本のような、妖怪と概念が一緒になって時空をふわっと横断してしまうような、奇妙な作風が面白い。
拙作の主演でもある柄本佑は、全身タイツの妖怪たちと戯れていたかと思えば、羅生門の多襄丸にもなるという大活躍。幅がある役者だなぁと。
先日の香港のMVも圧巻だったけど、やはり満島ひかりのダンスは素晴らしかった。劇空間からミュージカルにスライドする瞬間がゾクゾクする。映画のミュージカル性を身体で表現できる人だ。
照明も舞台美術も魅惑的で、青葉市子さんら音楽隊の雰囲気ともハマっていた。凄まじい完成度。 (9.21.2017)

THINKER: Sakamoto

September 15, 2017

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Ryuichi Sakamoto: CODA  Stephen Nomura Schible 2017

ついに初号試写で拝見。
async の制作中の時間に絞り込んだドキュメントは、作曲家であり、かつ思想家(thinker)である坂本龍一の精神世界にじっくり没入しようという一点に絞られており、その潔さがとても鋭く、深みある場所に到達している。

YMOやベルトルッチ、イニャリトゥなど映画界のあの人やこの人と思い浮かぶ大物のインタビューなどは一切出てこない。おそらく撮影はしたのだろうが、結局は他の誰かに称賛されるような言葉は必要ないと判断したのだろう。教授本人の人間的魅力と新作に向き合う“音探し”の時間にとことん付き合い、沈み込んでゆくことこそ、その凄みを贅沢に実感できるものではないかという監督Stephen Nomura Schible の割り切りが素晴らしい。

バッハ、タルコフスキーという宇宙の摂理にまで、その作品世界を広げていった作家の英気を吸い込み、自らは世界のchasm (亀裂)やasync (ずれ)に音を滑り込ませてゆこうという坂本龍一の手つきに、わずかながらでも触れられた気がした。

不明瞭な空虚さ——「三度目の殺人」  是枝裕和監督

September 11, 2017

「不明瞭な空虚さ」——「三度目の殺人」  是枝裕和監督

この週末に拝見。
殺人そのものを描かずに、その後の法廷闘争、弁護士と依頼人である殺人犯、その関係者たちの信頼関係、つまりは同じチームとして共闘すべき人間たちが、本当の意味で信頼しあえているのか否かに、テーマの焦点を絞った作品。
福山雅治演じる弁護士が、そのクライアントである殺人犯と、寄り添えているのか、それとも信頼関係などは青臭い、それ自体あり得ないもので、減刑など「どこに落とし込むのか」ということで目的を絞り込み、そのために口裏を合わせて協力するだけの関係なのか、という問いが全編を貫いている。
 十代の広瀬すずに法廷とは「だれも真実を語らない場所」という台詞を語らせていたが、そんな大人たちのニヒルな場所としての法廷闘争を描き出す——という目的は半ば達成しているかに見えるが、どこか作品として消化不良で煮え切らない。
 (以下ネタバレ)なぜか。広瀬すずをレイプし続けた父親から救う為に、役所広司演じる容疑者が殺したのではないかという「線」と、法廷で広瀬すずが父による性的虐待を吐露するとなった途端、容疑を認めていた役所広司が殺人を全面否認、金を脅し取っただけで殺したのは他の誰か(あり得るのは娘の広瀬すず?)という「線」が浮上し、交錯する。その2つの推測をめぐって、裁判官や弁護士がああだこうだとすったもんだするのだが、もう真実はどうでもよろしい、さっさと終えてしまおうという大人の論理で終幕が半ば強引に引かれる。その背景に、「訴訟経済(法廷経済)」という裁判官と弁護士たちのあうんの呼吸による判決の落とし込みがあるのだが、それはそれで「腐りきった日本の司法社会の現実」(括弧つき)を描写しているのかもしれぬが、何が言いたいかというとそれによって翻弄された当事者たちと、彼らの背負う業が見る者に分かるように宙吊りにされていないということだ。増村なら分かりやすくやっただろう。黒澤明なら「天国と地獄」のようにベタにやっただろう。そこまで脂ぎらなくてもよいのだが、広瀬、役所、福山、(そして斉藤由貴の母も?)という当事者たちがどこに行き着いたのか、何を背負って、どんな苦しみをごくりと飲み込んで耐えて生きてゆこうと決意したのか、そこを明確にしていないので、作品としては、弱いと言わざるを得ない。

福山が、殺人容疑者の役所にラストに言う、「あんたはただの『うつわ』なのか」という台詞。それが文字通り空っぽに聴こえてしまうところに、この作品の物足りなさがある。

ダンケルク

September 11, 2017

Dunkirk  by Christopher Nolan

The Dark Knight は傑作だったが、それ以外はまったく良いと思ったことのないChristopher Nolan. Memento など初期からずっと見続けているし、Hans Zimmer による音楽など見所を満載させる山師的才能は傑出しているので、ついつい劇場に見に行ってしまう。例によって”Dunkirk” も封切りで見た。

Inception でも感じたことなのだが、史上最大の作戦を幾つもの視点からこれ以上ないほど大げさに描き、その果てにある意味「だからなに?」は問わずにおくというのが彼のスタイルなのだろう。今回も第二次大戦初期の、連合軍が圧倒的にナチスドイツに押されていた時期の大撤退作戦を、陸、海、空の3つの軸で描いてゆく。複数の人間(今回は兵士)が絶体絶命のピンチに巻き込まれてゆく描写は相変わらずうまいのであるが、この人間を見ていたい、この人間の吐く言葉と肉声を聞いていたい、このじいさん、もしくはこの若者をずっと見続けたい、というような深みのあるキャラが登場することは皆無。20世紀ではなく、むしろ21世紀的な散漫でド派手な戦争ショーに付き合わされる。そして、戦争に対する作家的視点はなく、最後は撤退はしたものの英国は決して負けない、という戦意高揚の音楽と共に終幕する。イーストウッドなら絶対そんなマーチ音楽が、空虚に空々しく響くはずのところをマジで盛り上げようとしている点はげんなりしてしまった。彼は、特殊なサーカスとしての映画に興味があり、それはジェームズ・キャメロンのそれに近いものだろう。やたら心臓の鼓動や、金属が軋み合う重低音はやり過ぎ感があったが、ただ戦闘機が画面を横断する「音」は本当に凄まじかった、とそれだけは賛美しておく。

ドイツ・ニッポンコネクション 映画祭 DAY 3

May 30, 2017

最終日、クロージングセレモニー。残念ながら、拙作は賞に漏れた。役所広司さんが名誉賞を受賞、割れんばかりの拍手に包まれた。ドイツの観客も役所さんには最大の敬意を払っているようだった。

打ち上げ会場では多くの関係者、監督、俳優が参加。フランクフルト名産のリンゴのワインとSchneider Weiss など超うまいビール、美酒に囲まれる。役所さんともご一緒に乾杯!毎日顔を合わせていた山下敦弘、深田晃司、真利子哲也, Ian Thomas Ash(敬称略!)など監督仲間と夜遅くまで映画談義。皆熱いなぁ感動していると、いつの間にやら時間を忘れてしまう。午前4時近くに戻り、ダウン(^^)

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ドイツ・ニッポンコネクション 映画祭 DAY 2

May 30, 2017

今日は参加している他の作品を拝見。
石川慶さんの「愚行録」は、脚本が素晴らしい冷ややかなサスペンス。窪塚洋介さんと臼田あさ美さんが素晴らしかった。ポーランド人の撮影監督による映像もキレていた。のち、ドイツ映画博物館でのロマンポルノ特集へ。塩田明彦さんのイントロトークのあと、「四畳半襖の裏張り」(神代辰巳の傑作、英題はなんと”The World of Geisha”)を学生時代以来の再見。72分の短さに濃厚な血潮が詰まっている感じ。遊び男と芸者のセックス、大正の米騒動、中国、ロシアとの戦線拡大とあらゆる同時代要素をいっしょくたに描いてしまうという図太い繊細さに感動する。

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「道頓堀よ、泣かせてくれ!」ドイツプレミア!

May 29, 2017

27日、世界最大の日本映画祭といわれるニッポン・コネクションで、拙作「道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY OF NMB 48」が、ドイツプレミア上映されました。この晩ちょうどサッカーのドイツ杯決勝フランクフルトvs ドルトムントが行われ、フランクフルトの多くの人がパブに詰めかけている中、客入りが正直心配でしたが、会場Naxoshalle Kino は満員御礼。笑い声や歓声(悲鳴?)も響く、盛況ぶりでした。上映後のQ&Aは、予定時間を大幅にオーバーしてしまいました。ドイツの観客にとり、アイドルの世界は全く未知の世界で、驚愕と感嘆がないまぜのリアクションだったと思います。またぜひ続編が見たいとの声が多くありました。

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async  あるいは 草の音

April 10, 2017

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僕は、映画でも音楽でも作品を鑑賞するときはできるだけ予備知識を持たずに
向かい合うようにしている。パンフを読んだり、ネットで検索して、おもしろいかどうか値踏みしてから見る/聞くという傾向もあまり好きではない。ある一つのexpectation/期待にそって、作品を鑑賞するのは作り手にとって失礼だし、アートとはそもそも自己完結しており、何も知らない人に向けて開かれているべきと思うからだ。

というわけで、坂本龍一さんの新作「async」も何も予習もせず、何も情報を取り込まず、まっさらなCDを購入して聴いた。(教授が新作に取り組んでるというのは勿論あちこちで耳にしていたが、内容については耳を塞いでいたというのが正確か。)まず最初に通してtrack 01 からtrack14まで聴いて思ったのは、映像的な奥行きがある作品だな、ということ。無数の惑星がパースペクティブの果てまでつづく宇宙空間に身を委ねながら、ゆるりと視界が歪み、拡張してゆくのをそのまま受け止め、呼吸するような。音楽が三次元的な奥行きへ、聴くものを導いてゆくといったらよいだろうか。まるでタルコフスキーだ、と直感した。

現にタイトルを見るとsolari, stakra, walker, のように、タルコフスキー映画のような曲題がある。これは!と思って、ネットで検索していると、教授が「架空のタルコフスキー映画の音楽」と言っているのを発見。やはり!と手を打った。

実際、この音楽がついた映画こそ見てみたいと思わせるものだった。それはネットであがる動画ではなく、New York でいうとLincoln Center, ベルリンでいうとBelinale Palast、東京でいうとピカデリー系劇場の巨大なスクリーンで上映される映画である。壮大で揺るぎない時間の流れ、一つの世界がそこにあり、音響がその世界のムードを醸成し、人を誘うような。

映像的奥行きにおいては、Track 5の”walker”は傑出している。冬の凍てついたロシアの荒野を、ブーツ姿の男がザクザクと歩を進め、湿地帯の泥地、草むらを分け入ってゆく。とてつもなく芳ばしい(!)草の匂いや、冷えきった大気を覆う霧が素肌に染み込んでくるよう。この男はどこへゆくのだろうか。そこにある時間の持続が、宇宙の摂理そのものにつながっているような、引き延ばされたeternityを饗応させるものだった。

タルコフスキーの言葉で、artistic freedomを否定した言質がある。

I therefore find it very hard to understand it when artists talk about absolute creative freedom. I don’t understand what is meant by that sort of freedom, for it seems to me that if you have chosen artistic work you find yourself bound by chains of necessity, fettered by the tasks you set yourself and by your own artistic vocation. Everything is conditioned by necessity of one kind or another. (Andrey Tarcovsky “Sculpting in Time” より)

アートとは、作り手の内的な葛藤のすべてを反映させたものであるべきであり、それは自由に表現できるというよりも、すべてが必要性の鎖でつながっているものである、という考え。アーティスト自身の生々しい内なる声が、表現に昇華されるとき、それは本人にとり待ったなしの、A,B,Cどれでもいいわけではなく、その間に横たわるA’ のような一点に限られる、ということ。

坂本龍一にとり、async とは、sync の差異とズレの狭間にある一点を照射した、彼自身にとり絶対必要な何かなのではなかろうか。

第一印象として、そう思えた。